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ひといきついていました

久しぶりの更新。2月いっぱいは、バカシオンを満喫していました。クスコ、マチュピチュ、ラ・パス、ウユニ塩湖などといった、ペルー、ボリビアの定番スポットに足を運んでいた。通常貝のように家にこもって勉強と研究の日々を過ごしていた私で、ひさしぶりのお出かけだったわけだ。

 

ペルーは、「生きた博物館(El museo viviendo)」と呼ばれるほどに、社会・文化が歩んできた多様な歴史が様々な感覚を通じて入ってくる。先コロンブス期、インカ帝国、植民地時代、武力闘争と新自由主義の到来といった歴史が、呼吸と共に吸い込まれ、足を運ぶ一歩一歩のその先に染み込んでいるのを感じる。旅行をすればもう全身が生きた博物館を回っているのを楽しめるのがこの国だ。

 

ぜひ訪れてみてほしい。カミソリもとおさないインカ帝国式の石の壁と、大天使ミカエルが悪魔を倒す様子が掘られたカテドラルが同時に存在する高地文化を。マルティン・チャンビの写真に写る、もうかつての黄金の栄光を失った白黒写真にとられる村落の写真を現在のにぎわう通りと比べてもいい。イキトスのアマゾン川を下れば、森の中を訪れれば、雨季に水嵩を増した跡が、われわれよりも長く根を張る大木に傷として刻み込まれているのを見るだろう。依然訪れた草むら、這い上がった土手の上を、今は屋根つきのカヌーで移動する。地図はアマゾンを描くことができない。常に風景は変わってしまうからだ。20世紀の初め、単なる森林と山に思われていた「老いた峰」に、ハイラム・ビンガムはたどり着き、そしてそのふもとの村の鉄道建設に関わっていた日本人は役人になった。雲が階段を上っていく、自分は今天空に積み上げられた巨大な石にもたれかかっている。

 

ボリビアの仮面の道は見逃せない。黒人も白人も、キツネも犬も像も、牛やコンドルも、充血した目をひんむかせ、舌をつきだし、極度に肥大化させた唇をもっている。これをみている私も、ひょっとすれば悪魔なのだろうか・・・?窓ガラスのないラ・パスの高地の住居の壁には、「そうだ、モラレス(si, Morales)」と書かれている。海を奪われた最貧の多民族国家を、どのような力で引きつけているのだろうか。

 

 

 

 

半分まできていました

 

リマの滞在が半分になっていました。早いのか遅いのか、不思議な感覚だ。半年のうち学期期間中と休み中で異なる生活をしたので、それも反省してみよう。

 

学期期間中。人類学科の授業は全て夜で、一コマは3時間だった。夜の6時から9時までが授業。早起き大好き人間の私は、6時半くらいには毎日起きていた。そこから朝はリラックスして過ごし、9時から語学を11時まで。市場に行って買い物をし、昼食をつくって洗い物をしひといき、すると14時くらいだった。途中から、授業が夜ある日は、ここをショートカットして勉強の時間を増やそうと、語学学校を終えた後まっすぐ大学に向かって、12時半から勉強を再開する生活に切り替えた。

 

基本的にスペイン語に散々な苦労。タレア(予習)が毎度、外国人でスペイン語も英語も全然得意ではない私にはかなり堪えていた。基本的に空いた時間の全てはそれらに投入していたし、結構夜中までやったりする日もあったけど(もっと効率の良い方法があったんだと思う。頭のいいひとの勉強法ではなかったねぇ)、何かを終わらせるために他が全然手をつけられないという事態は頻発していた。明らかに消化ができていなかった。

 

毎回の講義は全て録音した。スペイン語の授業をその場できっちり理解していくのは不可能だったから復習しようと思った。ところが、前述のように、次から次へと自転車操業だったために、復習のために録音を聞くことは全然ままならなかった。溜まっていく音声データをみて途方にくれることが続く。

 

授業が終わった後は22時頃帰宅し、そこから夕食の準備をして23時くらいに食べた。片付けなどして

、24時になってしまい、そこから少しやり残していることに手をつけようとした。修論の研究は少しでも取り組まないと思考が固まっていくのを感じたので、毎日少しでも何かをを読んだ。けれども、それほどの体力と集中力は自分が持ち合わせていなかった。

 

土日は基本的にタレアの貯金をしておくのと、修論の研究をいつもより進めていく時間だった。そうして一学期があっという間に過ぎていったが、自分の思ったようにはスペイン語の上達はうまくいかなかったし、英語はどんどん忘れてしまった。とくに聴くのと話すのはもう英語は全くできなくなった。

 

休みになってから、遅れた修論のことを取り戻すのに必死になって今に至っている。起きるのは相変わらず6時半から7時をキープできている。そこから朝の時間をもって、1日の助走をする。朝は一気に何かに取り掛かる、いわゆる朝活は、自分のスタイルではなかった。朝は穏やかな気分が必要だ。

 

午前中は語学の時間を確実にこなしていた。日常的なことがらを書いていく作業は向上したのがテストをみてわかる。身の回りの留学経験者にきくと、およそ3ヶ月でわかるようになってくるという。ところが、自分の場合はそうでもなかった。とくに未だに人が実際何を言っているのか、全然わからない。語学の教材とは違って、人々の日常のスペイン語ははっきりしていない。そしてものすごい速さ。半年経ったがこの点は本当に絶望している。

 

午後からはずっと研究を進めなくてはならなかったので、ずっと家で論文を読んでいた。基本的に英語の文献が山盛りあったので、それを少しずつ読んでいくのが精一杯で、スペイン語の論文は読めていない。(そしてこうした事情から人と全然話していないので、それも聴こえない原因なんだろうが、かといって論文は読まないわけにはいかない)3月末には文献を報告しようと思っているので、どんどん読んで行かないといけない。ここでも、論文の効率的な読み方、そして何より英語のわからなさに毎日苦しめられている。スピードと効率が皆無だが、とにかく持続的に取り組むことだけしか今のところの対抗手段はなかった。

 

新聞をたまに買って読むようにしてるが、もちろん一部だけども、英語ばっか読まなくてはならないので、スペイン語の読む力がなかなか向上していないのは非常に痛い。これもどうするのが良いのかという今の課題。低いレベルだが、今スペイン語に関しては、維持が精一杯になっていて、向上の幅は大きくない、もちろん語学学習においてかならずあらわれる伸び悩む時期なのだろうが。話す・聴くが著しく苦手であるのは対策が必要なのはわかりつつ、現実では難しい。留学中たくさん遊ぶ人はかなり話す・聴くの力が伸びるような傾向をみるけれども、自分の状況だとそういう生活は難しい。

 

たぶんこのような生活をみると、今まで留学して、人と会うことに注力した人は、「何のためにいってんだか…」と思うかもしれないが、まぁ、ごめんなさいという感じ。たまに、何でここまできて自分の大学のデータベースからオンライン英語ジャーナルをダウンロードし続ける日々なんだと思わなくはないけども(大学の図書館はあんまりアクセスがよくない)。しょうがないよなとしか言いようがない。

 

本当はさらに気にしなければならないことがあるが、正直全然首が回らないので、至急の改善をする必要があるんだけれども・・・。

 

 

 

 

¡No puedas dormir sin aprender algunas cosas nuevas!

また少しだがアウトプットをサボってしまっていたので更新。

 

先週は修士論文の構想発表でした。友人(先輩でしょう)の心温かい協力のおかげで、なんとか教官たちに伝わる内容にすることができました。資料をつくるとなると、やはり構成能力に、友人と私の間には雲泥の差がでるわけですね。かなり多くのことを学びました。おそらく学んだことの大部分は、「それ、基本なんだけど?」というものなのでしょうが、とにかく出来ていなかった。

 

最近、1日のなかのどこかで大体、「語学」に関して多くのことを考えます。ペルーに来て半年、スペイン語を勉強し始めてからもうすぐ5年。まだまだ全然できないですね、はっきりいって。スペイン語は生涯学び続けたいと思っています。いづれは、ラテンアメリカ文学の幻と現実、時間軸の飛び越え、これらスペイン語的表現が得意とする文体の醍醐味を、そのものとして理解し楽しめるようになるのが人生の目標です。

 

ついで。スペイン語では、多くの時制があって、英語とは比にならない、時間と世界に関しては豊かなこだわりがある。これはあくまで勉強していて感じるものなので、言語学的にどうこうというのは、ここでは勘弁してください。

 

まず現在形。時間的現在であると同時に、そこにある、つまりは実体があって、感覚できる、存在するといった感じです。そして多様な過去形。点過去は、過去のある時点ですでに終えられている出来事について話す活用です。1945年に、太平洋戦争は終わった、だとか、昨日〜へ行った、とか。点過去を用いると、それは完全に現在とは切り離され、時間的過去に石のように固まってしまいます。他方で線過去。線過去は、過去の不特定な時点での動作を表したり、過去の習慣や状態を表現します。しかしこれも過去なので、現在とは切り離されています。線過去が表現する過去の習慣は、現在はやっていないことを示しています。続いて現在完了。現在完了は常に現在のこの時点となんらかのゆるやかな繋がりを維持した過去です。その点で前の2つの過去形とは異なる。今日の朝したこと、今週の初めにしたこと、などなど。朝は過去ですが、今日という中で現在になります。あるいは、なんらかの因果関係をはらんでいます。過去完了は、過去のある時点より以前にしていた何かです。過去のある時点を現在にした、そこからゆるやかに繋がっている過去。

 

未来形は、単に時間的に先のことを指すばかりではないです。ここからだんだんとスペイン語的世界に突入していく感じが個人的にはします。未来形はまだ実現されていないものです。まだふんわりしています。また、現在において使って、それは直接的にぶつけるのではない、オブラートにつつんだ言い方になります。

 

過去未来。未来のある時点からみて過去だけど現在よりは未来。これはさらにオブラートに包まれたふんわり感がでてると思います。未来のことでさえ実現していないのに、その時点からみて完了していることを示しているとあって、かなり実現されていないことになります。だんだんこのへんからスペイン語がもつ、べつの世界線の出来事への扉がひらかれていきます。過去未来をつかうと、丁寧なお願いができますね。自分はこうしてほしいけど、でも普通起きることはないよね、という感じがでますので、日本語としては「・・・なんですが・・・」と、いう感じ。

 

本当はさらに、現実世界ではなくて、雲の上の世界的なのがあるんですが、今日はこの辺りまで。

 

また、語学が伸びない・・・というほぼ自分にとって永遠の悩み、とくに最近感じる英語のできなさ、これはまた次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗と思考

巨体をささえる足の先、小指の小さな骨が砕けたとき、もうその巨体は足を踏み出すことに失敗してしまうのだろう。普段この巨人は思考を駆使し、そのような末端機関を些末な一部として気にしていない、あるいはそこまで気が回っていない。

 

渡秘する前には、夏前に背景知識をある程度つけ、長期休みになったときにアマゾニアでのフィールドワークに一気に切り替えて問題をみつけだすと発表していた。指導教官は、今思えば見透かしたような微笑で、リマでできることを考えておけと、生意気な人類学学生に助言した。退屈な人だ。いや、そうだったかもね。

 

想定していなかった事態が起き、というよりも予想をたてるのが甘かったんだろうね、自分は未熟であるというのも相まって、結局フィールドワークができずに、12月と1月を過ごし、突然来週にSkypeでの発表が決まった。指導教員と顔を合わすのが気まずい。できなかったね、と言うだろうか。彼は直接何かどうこう言葉を投げてくるというよりは、なぜその言い方なのだという感じの言葉で指導してくる。リマでやれることという、もったいない、あるいはスケールが小さいと言いたくなるのは、実は外部要因を予想しきれない未熟さがあるから、常に着実な何かがある状態にしておけという意味だったのかもしれないと後になって感じている。

 

行ってみなきゃわからないだろ、という言葉はそのままはねかえり、文字通りの意味になってしまう。行くまでわからないでいようとしたからだ。

 

とにかくこの一週間は、地味な思考を続けるしかないだろう。民族誌的データと記述がないという、美しい言葉はこの際はふせて。マルセル・モースはあれだけの大著をどのような作業法で仕上げたのだろうか。

 

追記:

現在、エル・パイス紙に掲載されたミシェル・セールのエッセーを、つたない訳ではあるけども、文章構造の理解とアウトプットの練習として作業中。近日紹介できればいいなという予定。

接触領域のリアリティ

カーボン(前回これを「炭素」と訳していたら、それはCO2のことだろうというご指摘をいただいたので、現象や過程を生み出すアクターとして、カーボンとよぶことにする。英語の論文では、だいたいCarbon~という感じででてくるので)が媒体になって広げるネットワークの中でも、カーボンクレジットという発明によって、それは巨大な市場に変化する。カーボンは交換価値、値打ちをもつコモディティとして取り扱われる。だから、それは梱包されて、届けられる。

 

それによってカーボンは脱コンテクスト化していくというのがひとつめの問題だったけれども、ふたつめの問題は、あるいはそれはこの問題の取り扱い方に関係するかもしれないが、地球環境問題というテーマでありながら、ズルズルと社会環境問題に変化していくことだ。

 

カーボンが脱コンテクスト化させられるのは、流れでなんとなくそうなるのではなく、意図的にそのように操作されているからだ。カーボンがコンテクストに埋め込まれた状態では、契約が結べない。地球を守ると言うのが、社会契約に変わっていくのが、カーボンの脱コンテクスト化の別の物語かもしれない。

 

京都議定書が提案したカーボントレードの枠組みは、ある種の悲しい前向きさからきた妥協だ。資本主義の精神の中でしか、環境の事に取り組めないのだ。言い方をかえれば、この話なら環境保全も悪くないでしょ?損はしないからさ・・・。

 

これによって政治的経済的な多様性をもったステークホルダーが出現する。かれらはカーボンの風船の中身を入れ替えたりしながら、地図の上にある森林をみている。トンという単位で数えられるそのガスが、どんな過程によって生まれたものなのか勘定に入れている余裕はない。数えている間に新しい風船が届く。

 

カーボンクレジット、REDDを取り扱うと、社会的な競合関係の複雑さにからめ捕られて、人間と自然環境の接触域のリアリティを追及する余裕がなくなるのだろうか。接触領域における生々しさは、結局科学技術でそれはブラックボックスのなかに閉じていきます、では話が足りない。

 

さらには、アマゾニアと保全という新たな軸も加えるとするなら、その広範なカーボン蓄積面積には、インディヘナが住んでいる。インディヘナは開発のコンテクストでも保全のコンテクストでも、地理的制約によって必ず問題になっている。地理的な当事者だが政治経済的には周辺にある。ねじれた関係・・・。

 

国際機関は放っておかなかった。ILO169宣言は、先住民の権利を承認することを国家の義務とする。かれらは自由な決定権をもたなければならないし、開発レジームに対して自らの優先権を打ち出すことが認められるべきである、と。

 

この話のあとにでてくるのが、先住民が保全をどう受け入れるのか決める権利があるというものだ。カーボンクレジットの交換主体である、つまりステークホルダーの一団体――権利は集合的に認められているが、共同体内の中心と周辺の問題には立ち入れない。開発と保全の交渉に関わる男性権力者は中心にいるが、エクアドルで川の異変に気づくのは周辺的な女性だった・・・――であるかれらの権利の問題がかかわってくる。かれらは「伝統的」「文化的」に深く自然環境と関わってきた。宗教的、社会的、経済的な関係をもって。

 

単純な比較をすれば、アマゾニアのインディヘナが環境といかに深くつながりあっているかという研究は、王道として存在し続けてきた。そのくらいこの森林と人間の接触のあり方は多様で複雑なはずなのだが、先住民研究のようなリアリティは、保全研究において数が少ない(と今のところ感じている。探し方がわるいだけかもしれないけど)・・・のだろうか。

 

脱コンテクスト化された炭素を逆再生する

このところ取り組んでいる論文の内容はおおまかに、京都議定書以降の先進国と途上国の炭素取引の周囲の拡がりを、おそらくアクターネットワーク論をかもしながら捉えるというものだ。わたしがこれまで読んできた先進国と途上国が天然資源と開発を媒介にして関係を広げているという研究に、なんとなく全体の色調が似ている。破壊と保全はちがう物語だが、作者が同じなのではないかという印象を感じるような、たとえばそういう雰囲気だ。天然資源あるいは非人間のアクターをめぐってつながっていくネットワークは、天然資源の地理的制約をうけるローカルと、自在に移動可能な先進国の資本によるグローバルな市場にまたがって、物体が価値に、未来が現在の勘定にいれられる世界をつくりだしている。

 

銅は必ずアンデスの鉱山に行かなくては手に入らない。天然資源はまず地理的制約によって必ずローカルの問題である。ところが政治と経済のレベルで、時間や空間を超越した規模のグローバル市場が存在している。山の民にとっては、家族と共同体の関係を表象する場所であった土地が、その地下にある莫大な資本主義世界の価値によってまた発見され、名ばかりの交渉によって、対等なビジネスが出発する。大規模な技術力と科学的知識そして資本をもつ国際的鉱山企業は、山の民の社会合意を得るために「説明」をほどこす。説明はされる、しかし、それは山の民のコスモロジーにおいて、さらなる財がやってくる以上のことを意味しない。今すぐに現金がくることは、物理的に知覚されるが、より長い時間をかけて、そのあとにおこってくる鉱山という現象は、彼らの頭にかつてはなかったからだ。娘の髪のなかに水銀が溶け込むことになるとは、だれもわからなかった。髪の中の水銀は、鉱山のまわりの現象を連結させる。

 

テレビをつけ、新聞の広告にも、毎日のように気候変動のニュースが飛びかっているのをみるだろう。文字通り、それは大気中を飛び交っている問題である。見えない大気の中の変化を、地球の周りを、赤くかこんでいる「あたたかい」層が表象する。「自転車でいくよ、エコなんでしょう?」

 

誰がそのカーボンを出したのか?先進国は毎年~トンを排出している…。どこから?あの煙突の煙が見えるでしょう?やがて消えていくね。でも私たちは、一年でこれだけの木を、熱帯の子供たちを植えたんです。そうか、あっちにいって、吸われたのだね。

 

科学者は、いつ排出されても、いつ吸収されても、それがどこであろうと地球全体のカーボンの総和には何らの関係がないと言うので、政治はまだおおくの緑の面積をもつ国々から、そのみえない大気と面積の中身を買い取っている。

 

プロジェクトの進行に従って、カーボンは脱コンテクスト化していく。選び取られて計算されながら。「ガス」とはそもそも規格化された商品である。ヤナコーチャ鉱山の鉱物が地理的制約を与えている一方、この非人間は、どこにでも姿をあらわし、そしてどこにも見えない。エコロジストたちは現地で蓄積される可能性がある炭素の量を丹念に計測するけども、アメリカからアフリカの森林まで来たときに自分たちがだしていた炭素は勘定しない。それはまだ「ガス」ではない。よし、排出余剰分がここでは蓄積されている。これだけの量があるから。

 

温室効果ガスは、単なる大気中の物質にはとどまらないことを、STS的な仕事が示している。それは、ローカルとグローバルに拡大し、あらゆる仕方で形を変え、政治・経済・環境・科学技術の次元を複雑につなぎあわせるモノである。あるところで何らかの生産によって排出された、コンテクストの中にあった炭素は、脱コンテクスト化していく。複雑な過程が、環境に関するパンフレットの、温室効果ガスによってふくれあがった風船のイラストに、端的に示されるようになる。色もかたちもないガスがその中に充満する。でもどのようにその風船にいれるガスが運ばれてきたかは、知らない。

 

STS研究がそのことをよく示しているならば、逆に、われわれはこの過程を逆再生することができるだろう(B.ラトゥールが熱帯サバンナでやった仕事のように)。あるカーボンクレジット化による環境保全の運動を、徹底的に炭素のコンテクストとして描く?おそらく、そのとき炭素はまだ出てこないだろう。あるのは、カカオ豆の栽培畑、今日の仕事、集落の森、開発の歴史、薬草のある場所、昔の寺院、・・・。

 

ネットワークが非常に広範な複雑なひろがりをつくりだすことを記述するのも重要だけども、反対方向に複雑さをもとめていったとき、社会化する自然と自然化する社会のおしあいへしあい、人間と非人間の環境、拡大し続けてもさらに複雑な図形が見えてくるのではないだろうか?グリーンエコノミーを情動と経験によって考える場合、私たちは環境問題と保全、資本主義の精神の中で、環境とのインタラクションにまだ出会い続けるだろう。

リマの埃

半球の反対側が本当に時刻も季節も反対であることに、飛行機の中では気づくことはない。そして地上に張り付いた時間の流れと人々の動きについても、その変化を感じながら移動することはない。かつて人々は陸路を遠くこの大陸まで歩いたが、その道は、なぜ自身の生涯には目的地につくこともないのに世界の果てまで移動することにこだわったのか不思議に思わせるようなドラスティックな変化をもつ道だ。南米大陸が最終到達地点であることは後からわかることで、当時の人々が世界をどのように考えていたのか、想像するのは難しい。長時間のエコノミークラスのフライトで私が気になっていたのは、座席の画面にうつるベーリング海峡はいつ渡り終えられるのかということだったのだから。

まるで別の温度の水に入れられた時の魚のような気分だった。少し歩けば青い排煙を吸い込んで頭が痛くなる。リマの道路はどこもかしこも常に渋滞する。まるでコロンブス期以前の装飾において、空白に恐怖を感じててもいるかのように絵が敷き詰められたが、道路は少しの隙間ももたない。違法な格安タクシーが一瞬の隙間をついてそこに向かう。信号は赤でもそのぎりぎりまでは80キロを出して進み、前進するときはものすごいエンジンをふかし埃を巻き上げる。バス停はない。人が手を挙げたところにとまり、あるいは声をかけて乗せようとする。停車以前から客引きと料金徴収をする、破れた汚い靴の男が、速いスペイン語で行き先を叫びながら、ドアから半身を乗り出して声をかけてくる。バスはドアも閉めずに出発し、すぐにまた人を見つけて止まる。交通のルールは極めて狂ったようで、運転しているもののモラルは全くわからない。もしすべてのこのような運転の仕方をするバスや、すぐに止まって客引きをするタクシーがいなくなれば、リマは晴れるのではないだろうかと思うくらいである。太平洋の湿気を含んだ大気はアンデス山脈の麓に黙り込んで、重たい雲をたれこめている。ところが雨は常に降りそうで降らない。

ラテンアメリカはのんびりしていると多くの人が言う。のんびりしているのか?なぜ到着より前にバスの扉が開き、信号は無視し、クラクションは規制されるまで叫び続け、わずかな距離でも、車検も通らないようなボログルマが全速力をだして頑張るのか。

わずかな水しかでないので洗濯機は日本の何倍も時間をかけて水を貯めて稼働している。私の住む小屋の集合みたいな家の管理人のラディースは、私の洗濯物の「脱水モード」を待ちきれずスキップした。終わったから干しといた、と言ったが、洗濯機は残り23分を表示している。彼女は明らかに待てていなかった。

ところがおおらかな場面は突然やってくる。
脱水を怠ってびしょ濡れの洗濯物は、リマの天気では1日で乾きはしない。夜干しする。ところが、だいたい夜には小雨が降って、朝方には濡れている。それを見ると、また昼間干すしかないかと言っているが、夜に小雨が降ってることはわかりきっているはずだった。なぜそのまま待っているのか?

かれらがおおらかなのではない。待てるところが一切異なっているだけだ。時間の感覚は大陸をまたいで異なっていた。私は様々な時差ぼけを、まだ感じたままだ。