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リマの埃

半球の反対側が本当に時刻も季節も反対であることに、飛行機の中では気づくことはない。そして地上に張り付いた時間の流れと人々の動きについても、その変化を感じながら移動することはない。かつて人々は陸路を遠くこの大陸まで歩いたが、その道は、なぜ自身の生涯には目的地につくこともないのに世界の果てまで移動することにこだわったのか不思議に思わせるようなドラスティックな変化をもつ道だ。南米大陸が最終到達地点であることは後からわかることで、当時の人々が世界をどのように考えていたのか、想像するのは難しい。長時間のエコノミークラスのフライトで私が気になっていたのは、座席の画面にうつるベーリング海峡はいつ渡り終えられるのかということだったのだから。

まるで別の温度の水に入れられた時の魚のような気分だった。少し歩けば青い排煙を吸い込んで頭が痛くなる。リマの道路はどこもかしこも常に渋滞する。まるでコロンブス期以前の装飾において、空白に恐怖を感じててもいるかのように絵が敷き詰められたが、道路は少しの隙間ももたない。違法な格安タクシーが一瞬の隙間をついてそこに向かう。信号は赤でもそのぎりぎりまでは80キロを出して進み、前進するときはものすごいエンジンをふかし埃を巻き上げる。バス停はない。人が手を挙げたところにとまり、あるいは声をかけて乗せようとする。停車以前から客引きと料金徴収をする、破れた汚い靴の男が、速いスペイン語で行き先を叫びながら、ドアから半身を乗り出して声をかけてくる。バスはドアも閉めずに出発し、すぐにまた人を見つけて止まる。交通のルールは極めて狂ったようで、運転しているもののモラルは全くわからない。もしすべてのこのような運転の仕方をするバスや、すぐに止まって客引きをするタクシーがいなくなれば、リマは晴れるのではないだろうかと思うくらいである。太平洋の湿気を含んだ大気はアンデス山脈の麓に黙り込んで、重たい雲をたれこめている。ところが雨は常に降りそうで降らない。

ラテンアメリカはのんびりしていると多くの人が言う。のんびりしているのか?なぜ到着より前にバスの扉が開き、信号は無視し、クラクションは規制されるまで叫び続け、わずかな距離でも、車検も通らないようなボログルマが全速力をだして頑張るのか。

わずかな水しかでないので洗濯機は日本の何倍も時間をかけて水を貯めて稼働している。私の住む小屋の集合みたいな家の管理人のラディースは、私の洗濯物の「脱水モード」を待ちきれずスキップした。終わったから干しといた、と言ったが、洗濯機は残り23分を表示している。彼女は明らかに待てていなかった。

ところがおおらかな場面は突然やってくる。
脱水を怠ってびしょ濡れの洗濯物は、リマの天気では1日で乾きはしない。夜干しする。ところが、だいたい夜には小雨が降って、朝方には濡れている。それを見ると、また昼間干すしかないかと言っているが、夜に小雨が降ってることはわかりきっているはずだった。なぜそのまま待っているのか?

かれらがおおらかなのではない。待てるところが一切異なっているだけだ。時間の感覚は大陸をまたいで異なっていた。私は様々な時差ぼけを、まだ感じたままだ。