脱コンテクスト化された炭素を逆再生する

このところ取り組んでいる論文の内容はおおまかに、京都議定書以降の先進国と途上国の炭素取引の周囲の拡がりを、おそらくアクターネットワーク論をかもしながら捉えるというものだ。わたしがこれまで読んできた先進国と途上国が天然資源と開発を媒介にして関係を広げているという研究に、なんとなく全体の色調が似ている。破壊と保全はちがう物語だが、作者が同じなのではないかという印象を感じるような、たとえばそういう雰囲気だ。天然資源あるいは非人間のアクターをめぐってつながっていくネットワークは、天然資源の地理的制約をうけるローカルと、自在に移動可能な先進国の資本によるグローバルな市場にまたがって、物体が価値に、未来が現在の勘定にいれられる世界をつくりだしている。

 

銅は必ずアンデスの鉱山に行かなくては手に入らない。天然資源はまず地理的制約によって必ずローカルの問題である。ところが政治と経済のレベルで、時間や空間を超越した規模のグローバル市場が存在している。山の民にとっては、家族と共同体の関係を表象する場所であった土地が、その地下にある莫大な資本主義世界の価値によってまた発見され、名ばかりの交渉によって、対等なビジネスが出発する。大規模な技術力と科学的知識そして資本をもつ国際的鉱山企業は、山の民の社会合意を得るために「説明」をほどこす。説明はされる、しかし、それは山の民のコスモロジーにおいて、さらなる財がやってくる以上のことを意味しない。今すぐに現金がくることは、物理的に知覚されるが、より長い時間をかけて、そのあとにおこってくる鉱山という現象は、彼らの頭にかつてはなかったからだ。娘の髪のなかに水銀が溶け込むことになるとは、だれもわからなかった。髪の中の水銀は、鉱山のまわりの現象を連結させる。

 

テレビをつけ、新聞の広告にも、毎日のように気候変動のニュースが飛びかっているのをみるだろう。文字通り、それは大気中を飛び交っている問題である。見えない大気の中の変化を、地球の周りを、赤くかこんでいる「あたたかい」層が表象する。「自転車でいくよ、エコなんでしょう?」

 

誰がそのカーボンを出したのか?先進国は毎年~トンを排出している…。どこから?あの煙突の煙が見えるでしょう?やがて消えていくね。でも私たちは、一年でこれだけの木を、熱帯の子供たちを植えたんです。そうか、あっちにいって、吸われたのだね。

 

科学者は、いつ排出されても、いつ吸収されても、それがどこであろうと地球全体のカーボンの総和には何らの関係がないと言うので、政治はまだおおくの緑の面積をもつ国々から、そのみえない大気と面積の中身を買い取っている。

 

プロジェクトの進行に従って、カーボンは脱コンテクスト化していく。選び取られて計算されながら。「ガス」とはそもそも規格化された商品である。ヤナコーチャ鉱山の鉱物が地理的制約を与えている一方、この非人間は、どこにでも姿をあらわし、そしてどこにも見えない。エコロジストたちは現地で蓄積される可能性がある炭素の量を丹念に計測するけども、アメリカからアフリカの森林まで来たときに自分たちがだしていた炭素は勘定しない。それはまだ「ガス」ではない。よし、排出余剰分がここでは蓄積されている。これだけの量があるから。

 

温室効果ガスは、単なる大気中の物質にはとどまらないことを、STS的な仕事が示している。それは、ローカルとグローバルに拡大し、あらゆる仕方で形を変え、政治・経済・環境・科学技術の次元を複雑につなぎあわせるモノである。あるところで何らかの生産によって排出された、コンテクストの中にあった炭素は、脱コンテクスト化していく。複雑な過程が、環境に関するパンフレットの、温室効果ガスによってふくれあがった風船のイラストに、端的に示されるようになる。色もかたちもないガスがその中に充満する。でもどのようにその風船にいれるガスが運ばれてきたかは、知らない。

 

STS研究がそのことをよく示しているならば、逆に、われわれはこの過程を逆再生することができるだろう(B.ラトゥールが熱帯サバンナでやった仕事のように)。あるカーボンクレジット化による環境保全の運動を、徹底的に炭素のコンテクストとして描く?おそらく、そのとき炭素はまだ出てこないだろう。あるのは、カカオ豆の栽培畑、今日の仕事、集落の森、開発の歴史、薬草のある場所、昔の寺院、・・・。

 

ネットワークが非常に広範な複雑なひろがりをつくりだすことを記述するのも重要だけども、反対方向に複雑さをもとめていったとき、社会化する自然と自然化する社会のおしあいへしあい、人間と非人間の環境、拡大し続けてもさらに複雑な図形が見えてくるのではないだろうか?グリーンエコノミーを情動と経験によって考える場合、私たちは環境問題と保全、資本主義の精神の中で、環境とのインタラクションにまだ出会い続けるだろう。